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昔の鉄道写真を公開していきます。

国鉄 東海道本線 大阪 1986年 福知山線電化直後

大阪駅に到着する福知山線の113系。
福知山線が全線電化されたときに登場した、
黄色に青帯の福知山色113系です。
たしか大阪近辺でも2両編成だった気がします。(1986年/大阪)



485系「北近畿」と113系関西線快速。
「北近畿」は1986年の福知山線電化と同時に登場した特急です。
隣の113系は関西本線直通の快速ですが、いつものヘッドマークが付いていませんでした。
(1986年/大阪)



大阪駅に停車中のカナリヤ色103系。
福知山線の全線電化後も大阪近郊区間は103系が主流でした。
宝塚より先が電化されたため、新三田までは主に103系で運用されるようになりました。
(1986年/大阪)
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国鉄 阪和線 天王寺 1986年 381系くろしお

天王寺駅に停車中の381系。
「はんわライナー」はこの時間帯には走っていなかったはずですが、
おそらく回送列車を乗務員さんのサービスで「はんわライナー」の幕にしてくれていたようです。
(1986年/天王寺)


天王寺駅2番線停車中の381系「くろしお」。
天王寺駅の連絡線ができるまでは、
「くろしお」もすべて阪和線ホーム発着でした。
現在は阪和線ホームに特急が来ることもほとんどないです。
(1986年/天王寺)


天王寺駅の引き上げ線に停車中の列車(左)と、
和歌山方面へ発車直後の列車(右)です。
当時は引き上げ線にも381系が止まっていて、
こういう風景もよく見れたようです。(1986年/天王寺)

国鉄 関西本線 1986年 竜華鉄道フェア

竜華機関区廃止後の竜華鉄道フェアにて、
EF15-158とEF58-66のツーショット。(1986年/竜華機関区)



EF58-66号機は竜華機関区のエースだったそうです。
前照灯がシールドビーム2灯から電球1灯に戻されていました。
紀勢本線の客車列車に運用されていましたそうですが、
この頃には運用から外れていたようです。(1986年/竜華機関区)



EF15-158号機も、阪和線・紀勢本線の貨物列車に運用されていたようですが、
JR化を前に貨物列車も廃止されました。(1986年/竜華機関区)

クモヤ90形。
旧型国電の72系から改造された事業用車だそうです。(1986年/竜華機関区)

EF60-511。
前照灯が1つのタイプで、500番台はブルトレ用だったそうです。
ブルトレの運用から外れて、紀勢本線の客車用に転属してきたようですが、
このころには客車列車自体がほとんどなくなっていました。
(1986年/竜華機関区)


EF60-92。
こちらは前照灯が2つのタイプで、EF65 0番台と見た目がよく似ています。
こちらも、阪和線・紀勢本線の貨物列車に運用されていたようですが、
JR化を前に貨物列車も廃止されました。(1986年/竜華機関区)


DD51-1183による体験運転。
こういうイベントもやっていたようです。
DD51-1183はJR西日本に引き継がれて、臨時列車等で活躍しています。
(1986年/竜華機関区)


DE10-1169他。
おそらく廃車待ちの車両たちだったようです。(1986年/竜華機関区)

キハ30系。
この頃には、和歌山線・桜井線・奈良線も電化されていましたので、
最後まで走っていたのは片町線と関西本線の木津より先のあたりでしょうか。
(1986年/竜華機関区)


ヨ8000形車掌車。
昔の貨物列車には掌車車が付いていましたが、
このころにはほとんど使われなくなったようです。
これもおそらく廃車待ちの車両たちです。(1986年/竜華機関区)
久宝寺駅に停車中の103系。
当時は竜華操車場を挟んで上下線がかなり離れていた駅でした。
こちらは天王寺方面のホームで、現在では再開発されて
高層マンションが建っているあたりです。(1986年/久宝寺)

近鉄 長野線 河内長野 1986年

河内長野駅に入線する6020系。
マルーン一色の旧塗色時代の編成です。
(1986年/河内長野)


河内長野駅に停車中の6800系。
6800系は「ラビットカー」として登場した車両で、
下部の標識灯も1灯ずつしかない古いタイプの通勤型車両です。
新塗色に更新されていましたが、行先表示幕はありませんでした。
(1986年/河内長野)

山陽電鉄 本線 山陽須磨 1986年

旧塗色の山陽電鉄3000系鋼製車。
阪急六甲行きの特急のようです。
昔は阪急線にも乗り入れていました。
(1986年/山陽須磨)


こちらは新塗色になっていた山陽電鉄3000系。
元々は上のようなクリーム色と紺色の車体色でしたが、
この頃からアルミ車に似た色に変更されていきました。
(1986年/山陽須磨)

国鉄 北陸本線 近江塩津 1986年 80年代の北陸特急

近江塩津駅を通過する、489系ボンネットの「しらさぎ」。
自動連結器が剥き出しなので、485系ではなく489系だと思います。
(1986年/近江塩津)


近江塩津駅を通過する、485系ボンネットの「雷鳥」。
湖西線から通過線を通って北陸方面へ向かうところです。
外側にさらに線路が見えますので、今と比べると近江塩津駅の線路が1本多かったようです。
(1986年/近江塩津)


米原から北陸方面へ向かう、485系「加越」。
「加越」は、米原と金沢・富山を結んでいた、しらさぎの弟分のような列車でした。
(1986年/近江塩津)



湖西線から北陸方面へ向かう、EF81貨物列車。
コンテナではなくタキのような感じで、貨物列車にしてはかなり短そうです。
(1986年/近江塩津)



北陸方面から湖西線へ向かう、EF81客車列車。
後ろの客車は12系か14系座席車のようですが、
普通列車ではなかったので、おそらく臨時列車だと思います。
(1986年/近江塩津)



米原から北陸方面へ向かう、EF81貨物列車。
機関車の後ろは郵便車のようにも見えますので、荷物列車だったのかもしれないです。
(1986年/近江塩津)



583系「雷鳥」。
この頃は、定期列車の「雷鳥」は485系で統一されていましたが、
夏休みの臨時列車では583系も走っていました。
(1986年/近江塩津)



旧塗色の419系。
この頃登場した583系から改造された普通列車で、
国鉄時代は赤地に白帯のカラーでした。
(1986年/近江塩津)



旧塗色の419系。
切妻側のいわゆる食パン顔です。
「TOWNトレイン」という名称が付いていました。
(1986年/米原)

国鉄 山陰本線 京都 1986年 非電化時代の山陰本線京都駅

京都駅の山陰1番ホームに停車中のキハ181系「あさしお」。
現在の30番ホーム(はるかホーム)が山陰1番ホームでした。
この時の「あさしお」は京都から城崎や鳥取方面への特急で、
山陰本線が電化されたときに「きのさき」に置き換えられました。
(1986年/京都)



京都駅の山陰本線ホームに停車中のキハ47系普通列車。
山陰本線の京都口も電化される前なので、キハ40系統がメインでした。
現在の31番ホームのようですが、32-33番ホームはまだなくて、
留置線しかなかったようです。(1986年/京都)

国鉄 東海道本線 大阪 1986年 20系日本海

大阪駅に停車中の24系「日本海」。(1986年/大阪)


大阪駅に停車中の20系「日本海」。
定期運用の日本海は24系でしたが、
夏休みの時期には臨時列車も運転されていて、そちらは20系で運用されていました。
20系の大型のテールマークも、イラスト入りの物が準備されていました。
(1986年/大阪)




大阪駅に停車中のEF65+寝台列車。
列車名はわかりませんが、EF65なので日本海ではないようです。
ヘッドマークもないので、急行「ちくま」あたりでしょうか。
(1986年/大阪)

国鉄 和歌山線 高田 1986年 SL大和路号と113系/105系

高田駅に停車中の桜井線の113系。
113系春日色と湘南色の混色編成でした。
桜井線といえば105系のイメージですが、113系も走っていたようです。
(1986年/高田)


こちらの方向幕には「桜井線-(快速)-湊町」と書かれているようです。
おそらく奈良発、桜井線経由の湊町行き快速だと思います。
(1986年/高田)


桜井線105系。
常磐線で走っていた、貫通型103系からの改造車です。
(1986年/高田)


高田駅に到着する、C56-160 SL大和路号。
SL大和路号は、1986年の夏休み期間に、奈良-王寺間の桜井線・和歌山線に走っていました。
(1986年/高田)


二上山をバックに走る、C56-160 SL大和路号。
(1986年/高田-下田間)

近鉄 東大阪線 生駒 1986年

生駒駅に停車中の7000系。
近鉄東大阪線が開業する直前の試運転列車だったと思います。
(1986年/生駒)


東大阪線開業直後の新石切駅に停車中の7000系。
7000系は、大阪市営地下鉄・中央線との乗り入れのため、
従来の近鉄電車とはデザインも規格も全く違う車両です。
(1986年/新石切)