忍者ブログ
昔の鉄道写真を公開していきます。

JR西日本 城東貨物線 吹田-鴫野 2014.09.15 赤川鉄橋の工事風景

おおさか東線開業に向けて複線化工事中の赤川鉄橋。
木製の歩道部分がはずされて、線路を敷設する工事が始まっていました。
(2014.09.15/吹田-鴫野)




赤川鉄橋の南側は、すでにバラストも設置されて、
線路を敷設する直前の状態になっていました。(2014.09.15/吹田-鴫野)

JR西日本 交通科学博物館 2014.05.04

弁天町にあった交通科学博物館。
2014年4月に閉館となった直後の写真です。

展示物はまだ撤去されておらず、
屋外展示されていた車両は外から見ることができました。(2014.05.04/交通科学博物館)


本館とは少し離れたところに展示されていたDF50とDD13。
近くの歩道橋から、環状線の列車と一緒に写真に収めることができました。
(2014.05.04/交通科学博物館)


DD54はさらに別の場所に単体で置かれていたようです。
改めて見てみると、博物館のスペースもかなり手狭だったようです。
(2014.05.04/交通科学博物館)

JR西日本 城東貨物線 吹田-鴫野 2014.05.04 おおさか東線工事風景

おおさか東線開業に向けて複線化工事中の風景です。
鴫野駅から寝屋川を渡って少し行ったところにある踏切で、
右が単線時代の線路跡で、左が複線用に新設された線路です。
最終的には両方とも綺麗に敷設しなおすために、
もともとの線路も撤去された時期のようです。(2014.05.04/吹田-鴫野)




新大阪方向も、新しい線路だけが使われていて、
単線時代の線路はいったん全部撤去されていたようです。
ここの踏切は、新大阪-放出間では唯一の踏切として、現在でも残っています。
(2014.05.04/吹田-鴫野)

JR西日本 おおさか東線 JR河内永和 EF200/EF81/DE10

おおさか東線を走るEF200-10貨物列車。
おおさか東線の貨物列車はEF66とEF210が中心でしたが、
EF200も定期運用で走っていた気がします。(2012.04.14/JR河内永和)


放出駅に入るEF81-715貨物列車。
おおさか東線が放出止まりだった頃は、放出駅の手前で片町線に入り、
鴫野からまた城東貨物線に入っていっていました。(2012.08.14/放出)



おおさか東線を走るDE10-1576貨物列車。
電化後も何本か残っていたDE10による貨物運用です。(2012.04.14/JR河内永和)

JR西日本 おおさか東線 JR河内永和 EF81/DE10

おおさか東線を走るEF81-135貨物列車。
城東貨物線が完全電化されてからは、直流機関車だけでなく、
北陸方面からのEF81も走るようになりました。
検査明けだったのかピカピカの車体でした。(2011.07.25/JR河内永和)


おおさか東線を走るDE10-1733貨物列車。
電化されてDD51の運用はなくなったと思いますが、
DE10は何本か走っていたようです。(2011.11.05/JR河内永和)



EF81-454貨物列車。
EF81の中でも比較的レアな450番台の機関車です。(2011.12.23/JR河内永和)

JR西日本 城東貨物線 吹田-鴫野 2010.12.11 赤川鉄橋

城東貨物線の赤川鉄橋を渡るDD51-1188貨物列車。
おおさか東線の工事が本格化される前は、
単線の線路と、歩行者用通路が併設されていた鉄橋です。
有名なスポットでしたが、ごく普通の風景として存在していました。
(2010.12.11/吹田-鴫野)


赤川鉄橋の歩道部分には「赤川仮橋」の銘板もありました。
(2010.12.11/吹田-鴫野)


DD51-759貨物列車。
吹田から百済へ向かう列車で、赤川鉄橋手前の踏切だと思います。
おおさか東線の開業に合わせて立体交差化されて、踏切も撤去されています。
(2010.12.11/吹田-鴫野)


赤川鉄橋を渡るEF210-157の試運転。
もともと平野付近に非電化区間が残っていたためDD51で走っていましたが、
この頃には電化工事も進んでいて、
電気機関車への置き換えに向けた試運転が行われていました。
(2010.12.11/吹田-鴫野)
        
  • 1
  • 2