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昔の鉄道写真を公開していきます。

南海 和歌山港線 水軒駅跡 2002.08.16

南海和歌山港線の水軒駅跡。
和歌山港-水軒間は、旅客列車が1日2往復だけ走る路線でしたが
2002年5月に廃止されて、8月に訪れた時の写真です。
すでに架線は撤去されていましたが、それ以外の施設はまだそのまま残っていました。
もともと貨物輸送用に計画された駅だったため、列車本数に対して、
線路等の施設が大きな駅でした。(2002.08.16/水軒駅跡)

阪堺 阪堺線 恵美須町 2001.05.01

恵美須町駅に停車中のモ161形。(2001.05.01/恵美須町)


浜寺駅前電停に停車中のモ161形。
古い車両ですが、今でも現役で走っています。
現在のモ161号はイベント専用車として復刻塗装になっていますが、
当時は普通の広告車両として走っていました。(2001.05.01/浜寺駅前)


浜寺駅前電停に停車中のモ601形。
駅の周りの雰囲気も、今と比べるとだいぶゴチャゴチャした感じだったようです。
(2001.05.01/浜寺駅前)


南海本線の浜寺公園駅。
辰野金吾設計の明治時代の木造駅舎で、この頃はまだ普通に使われていました。
現在は曳家によって少し移動して、ステーション・ギャラリーとして残されています。
(2001.05.01/浜寺公園)

南海 天王寺線 天王寺-飛田本通 1993年

南海天王寺支線を走る1521系。
天王寺支線最終日の風景です。
今池町-天下茶屋間が先に廃止されてからは、
1521系が閉じ込められて運用されていました。(1993年/天王寺-飛田本通)


天王寺駅の駅名板。
当時の南海天王寺駅のホームは端っこの薄暗いところにありました。
隣の飛田本通駅は末期に開業したためか、紙で補正された状態でした。
(1993年/天王寺)


飛田本通駅の駅名板。
今池町-天下茶屋間が廃止されて、天王寺-今池町間も単線化された後に
開設された新しい駅ですが、全線廃止も決まっていたため仮設ホームのような駅でした。
(1993年/飛田本通)


今池町駅の駅名板。
隣の天下茶屋が白で塗りつぶされ、飛田本通が手書きで書かれていました。
今池町駅は、阪堺線の今池駅の下にありました。
天王寺支線をオーバークロスしていた名残で、
阪堺線の今池駅付近は今でも盛土の上を走っています(1993年/今池町)

阪堺 上町線 天王寺駅前 1988年

天王寺駅前に停車中のモ121形。(1988年/天王寺駅前)


住吉鳥居前付近を走行中のモ121形。
モ121形は、モ161形と似た古いタイプの車両ですが、すでに全廃されています。
(1988年/住吉鳥居前)


住吉鳥居前付近を走行中のモ351形。
偶然なのかもしれませんが、この時期は白い車体の車両が多かったのでしょうか。
(1988年/住吉鳥居前)

南海 本線 難波 1988年

難波駅に停車中の旧塗色時代の9000系。
南海本線に初めて登場したステンレス車で、
ステンレス車といえば高野線の時代だったので、けっこう違和感がありました。
(1988年/難波)


難波駅に停車中の10000系「サザン」。
緑系の旧塗色時代です。
手前の行き先表示板も懐かしい風景です。(1988年/難波)


難波駅を発車する旧塗色時代の7000系。
右側の建物は大阪球場です。このあたりの景色も変わりました。(1988年/難波)


泉北高速鉄道100系。
方向幕取り付け前は、ヘッドライトが上部にあり、
南海6000系を切妻型にしたようなデザインでした。(1988年/中百舌鳥-深井)


旧塗色時代の22000系。
高野線の急行列車は難波-極楽橋間の大運転しかなかったため、
21000系と22000系が専属で運用されていました。(1988年/河内長野)

南海 高野線 千代田 1985年

千代田駅を通過する旧塗色時代の21000系ズームカー。
千代田駅も橋上駅舎になる以前の風景です。
当時の高野線急行は、基本的に難波-極楽橋間の大運転しかなかったため、
21000系の前面には「急」とだけ書かれたヘッドマークが掲げられていました。
(1985年/千代田)
無塗装時代の8200系。
8200系は前面に縁飾りが付いたデザインで、本数も少なかったため独特の存在でした。
現在はVVVF化されて、6200系に編入されているそうです。
(1985年/千代田)


無塗装時代の6200系。
丸みのある6000系/6100系に対して、6200系は前面が平面なデザインです。
(1985年/千代田)


旧塗色時代の22000系急行。
当時の高野線急行は、三日市町で難波寄り2両を増解結していたため、
難波寄りには必ず22000系が入っていました。
(1985年/千代田)


無塗装時代の6000系。
まだ方向幕もなく、丸い行き先が付いていた頃です。
20m車が入れるのも林間田園都市まででした。
(1985年/難波)


泉北高速3000系。
昔は、泉北車も南海車も関係なく運用されていたようで、
泉北車にも関わらず、このときは難波-河内長野間の各停運用だったようです。
(1985年/難波)
        
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