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昔の鉄道写真を公開していきます。

南海 本線 浜寺公園 2007.05.04

浜寺公園の旧駅舎。
高架化工事が始める前の現役時代の姿です。
現在も曳家で少し移動して保存されていますが、
あらためて現役時代の写真を見ると、どことなく雰囲気が違う気がします。
(2007.05.04/浜寺公園)
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阪堺 上町線 天王寺駅前 2007.05.04

阪堺上町線・天王寺駅前停留場付近の風景。
当時は道幅も狭くてゴチャゴチャしていましたが、
今では再開発で周辺の建物も道幅もすっかり変わっています。
(2007.05.04/天王寺駅前)



住吉公園停留場に停車中のモ351形。
当時は、上町線の列車の半数は住吉公園行きとなっていましたが、
次第に阪堺線に直通する列車がメインとなり、
住吉-住吉公園間は2016年に廃止されました。(2007.05.04/住吉公園)



住吉停留場付近を行く列車たち。
住吉停留場では上町線と阪堺線が平面交差しており、
さらに上町線から阪堺線に直通できるようにポイントが設けられていました。
現在は住吉-住吉公園間が廃止されて、平面交差もなくなり、
上町線と阪堺線の分岐駅になっています。(2007.05.04/住吉)

南海 和歌山港線 水軒駅跡 2002.08.16

南海和歌山港線の水軒駅跡。
和歌山港-水軒間は、旅客列車が1日2往復だけ走る路線でしたが
2002年5月に廃止されて、8月に訪れた時の写真です。
すでに架線は撤去されていましたが、それ以外の施設はまだそのまま残っていました。
もともと貨物輸送用に計画された駅だったため、列車本数に対して、
線路等の施設が大きな駅でした。(2002.08.16/水軒駅跡)

阪堺 阪堺線 恵美須町 2001.05.01

恵美須町駅に停車中のモ161形。(2001.05.01/恵美須町)


浜寺駅前電停に停車中のモ161形。
古い車両ですが、今でも現役で走っています。
現在のモ161号はイベント専用車として復刻塗装になっていますが、
当時は普通の広告車両として走っていました。(2001.05.01/浜寺駅前)


浜寺駅前電停に停車中のモ601形。
駅の周りの雰囲気も、今と比べるとだいぶゴチャゴチャした感じだったようです。
(2001.05.01/浜寺駅前)


南海本線の浜寺公園駅。
辰野金吾設計の明治時代の木造駅舎で、この頃はまだ普通に使われていました。
現在は曳家によって少し移動して、ステーション・ギャラリーとして残されています。
(2001.05.01/浜寺公園)

南海 天王寺線 天王寺-飛田本通 1993年

南海天王寺支線を走る1521系。
天王寺支線最終日の風景です。
今池町-天下茶屋間が先に廃止されてからは、
1521系が閉じ込められて運用されていました。(1993年/天王寺-飛田本通)


天王寺駅の駅名板。
当時の南海天王寺駅のホームは端っこの薄暗いところにありました。
隣の飛田本通駅は末期に開業したためか、紙で補正された状態でした。
(1993年/天王寺)


飛田本通駅の駅名板。
今池町-天下茶屋間が廃止されて、天王寺-今池町間も単線化された後に
開設された新しい駅ですが、全線廃止も決まっていたため仮設ホームのような駅でした。
(1993年/飛田本通)


今池町駅の駅名板。
隣の天下茶屋が白で塗りつぶされ、飛田本通が手書きで書かれていました。
今池町駅は、阪堺線の今池駅の下にありました。
天王寺支線をオーバークロスしていた名残で、
阪堺線の今池駅付近は今でも盛土の上を走っています(1993年/今池町)

阪堺 上町線 天王寺駅前 1988年

天王寺駅前に停車中のモ121形。(1988年/天王寺駅前)


住吉鳥居前付近を走行中のモ121形。
モ121形は、モ161形と似た古いタイプの車両ですが、すでに全廃されています。
(1988年/住吉鳥居前)


住吉鳥居前付近を走行中のモ351形。
偶然なのかもしれませんが、この時期は白い車体の車両が多かったのでしょうか。
(1988年/住吉鳥居前)

南海 本線 難波 1988年

難波駅に停車中の旧塗色時代の9000系。
南海本線に初めて登場したステンレス車で、
ステンレス車といえば高野線の時代だったので、けっこう違和感がありました。
(1988年/難波)


難波駅に停車中の10000系「サザン」。
緑系の旧塗色時代です。
手前の行き先表示板も懐かしい風景です。(1988年/難波)


難波駅を発車する旧塗色時代の7000系。
右側の建物は大阪球場です。このあたりの景色も変わりました。(1988年/難波)


泉北高速鉄道100系。
方向幕取り付け前は、ヘッドライトが上部にあり、
南海6000系を切妻型にしたようなデザインでした。(1988年/中百舌鳥-深井)


旧塗色時代の22000系。
高野線の急行列車は難波-極楽橋間の大運転しかなかったため、
21000系と22000系が専属で運用されていました。(1988年/河内長野)